2010年12月31日金曜日
寒い町 ひとつの町 それに先立つ私の旅行観
その前に少し、電車での旅行と自転車での旅行の違いについてお話しさせて下さい。
「電車の旅行は自転車のそれとは違い疲れることがない」
「座るだけだから本を読むことも眠ることもできる」
ええ、仰るとおりです。しかし今回は車窓からの景色を、とりわけ、町の中を走っている時のものを思い起こして下さい。座席で外を眺める私たちは、旅行という<非日常>へ行く(あるいはその中にいる)のです。しかし、車窓の外は<日常>の時間が流れる町です。車窓から見える人はみな日常生活を送っています。車から荷物を運ぶ会社員、友達と追いかけっこをする小学生、洗濯物を干す主婦、車窓の外は<日常>で溢れています。しかしこれは自転車の旅行でも同じですね。自転車の上の自分は<非日常>でその周りは<日常>です。違うのはここではなく、この次です。
電車から<非日常>な私たちが見るのは、無音の<日常>の「(ほぼ)静止画」ですが、自転車から<非日常>な私たちが見るのは<日常>をすごす人々の声を含んだ、いわば「動画」であることです。つまり、電車では<日常>の断片・切り取りしか見れないが、自転車の旅行では速度が遅いがために、道にある<日常>のストーリーを見聞きするのです。なので私は車中で窓による<日常><非日常>の境目や、電車と自転車のギャップに改めて気づく度に、どうしようも表現できない気持ちになるのです。
それでは長くなりましたが、本題に戻りましょう。
私が目にした、お伊勢参りの道中、ある市街地の端っこでの話です。
そこには町に似合わないほど大きなケンタッキーフライドチキンの店がありました。そして満車の店の駐車場には、ケンタッキーの箱を抱え足早に歩くポニーテールの小さな女の子と、その3歩ほど後ろを釣り銭の計算をしながらゆっくり歩く両親の姿がありました。クリスマスパーティーの準備なのでしょう。女の子の手にはクリスマスチキンがあるのだとわかりました。しかし、女の子はどうしたことか、不満げに何かを訴えかけています。どうやらチキンが冷めることを心配しているようで、ついに女の子はその箱をマフラーでぐるぐる巻きにしてしまいました。そして私はその家族が赤い車に乗り込むことろまで見届け、通り過ぎたのでした。
このように私は自転車で<非日常>な移動をしながらも、町の<日常>を掻い摘んで覗き見していたのです。そしてその後、もちろん長い道中であるために奇妙なものも目にしました。
市街地から離れ、荒地と民家が交互に並ぶ平地を走っていました。前方遠くには開けた空き地があり、そこの中央には70歳ほどに見える背の高く痩せた老人がいました。やけに薄着で背を少し丸めた彼の手には、老人の肌と同じくらいに浅黒くなった木の棒があり、小刻みに地面を掻いていました。はじめは老人と距離があったため、その手にした棒が何なのかわかりませんでした。老人の10メートルほど手前に来た時にやっとそれが小ぶりな鍬なのだとわかりました(後日調べたところ草削り用の草掻鎌だとわかりました)。しかしその駐車場には草どころか土もありません。老人はただのアスファルトをただひたすらに、当然のことのように鍬をつかい引っ掻いていたのです。私はその光景に驚き、そしてそのすぐ後に狂気という言葉が浮かび、僅かに震えました。風の吹き荒れる気温が5℃しかない曇天の下、老人がアスファルトを整地しようとしているのです。本来なら痴呆症であろうと思い気の毒に思うのでしょうが、恐怖を覚えたのです。しかし私は老人から目を離すことなく、道なりに、真っ直ぐ、老人に向かって進みました。老人を抜かし、私の視界からなくなる残り10メートルまでに、論理的もしくは文学的に老人の行動を理解しようと、理解によって恐怖を振り払おうとしました。残り8メートル、彼は手に持つ鍬しか持っていないことを確認し、残り5メートル、そのアスファルトに変化がないことを確認して、残り2メートルで、老人と目が合い、彼の目は身の寒さは感じないということを物語っていることを知りました。
このようにして私はすっかり老人に五感を奪われており、彼の逆側、つまり私のすぐ隣の車道への注意を怠っていました。田舎道であんなに見通しがいいというのにです。短いクラクションが私を正気に戻し、私は目を音の元へ――こちらへ曲がってくる赤い車へ向けました。車は止まり、後部座席の窓が開きました。そして大きな声が、
「おじいちゃん!チキン買ってきたよ!」
さっきの女の子の声が聞こえました。
結局私はその老人の行動を論理的にも文学的にも理解することはできないままでした。しかし私が掻い摘み、覗き見した<日常>のストーリーによって、私の心から恐怖はなくなっていたのです。こうして<非日常>者の寒い日の旅行の思い出として、ある町の家族の<日常>が残ったのです。そして今回、どうしようも表現できない気持ちを言葉に当てはめてみたのです。
2010年10月25日月曜日
リレー三題噺「マンホール」「シナモンシュガー」「貯金箱」
やりようのないシナモンシュガー。
この意味がおわかりになる人は日本にどれくらいおられるだろうか。 きっとシナモンシュガーがかかったパンをデスクワークの合間に考え事をしながら食べた人の中で、さらに床を汚したくないと考える紳士に限定されるだろう。つまり私はシナモンシュガーを膝の上にこぼし、このシュガーをオフィスの床にも落とすことができずに立ちつくして、いや、座りつくしているのだ。
さて、この出来事がどうして文章にしてまでお話しする価値があるのかと、 疑問を持たれているであろうから、できる範囲で簡潔に説明しよう。話は昨晩の娘との会話までさかのぼる。
途切れ途切れの、日常を日常として保つために行う、いつもの会話、少しの間の沈黙をおいた後、
お父さん、私ね、明日家を出ようと思うの。
一月ほど前に十七才の誕生日を迎えたばかりの娘が、バラエティ番組を映し出すテレビの向こう側の壁を見つめるようにして、そう言った。
私が何と答えるわけでもなく、互いに動揺するわけでもなく、ただ時間が流れ、会話はそこで終わり、いつもと同じ時間同じ手順を踏んで、私と娘はそれぞれの寝床についた。
翌朝起きてみると既に娘の姿はなく、娘の部屋からは、娘が小学生のときにゲームセンターで私がとってやったキャラクターの貯金箱と、いくらかの洋服と、リュックサックが消えており、台所の棚に置いてあった私の買い置きのタバコが二箱なくなっていた。
妻は何も言わず二人分の朝食を食卓に並べ、私は新聞を読みインスタントのスープを飲んだ。まるでずっとそうしてきたかのように。ピアノの上の家族写真だけが娘の不在を主張していた。ディズニーランドでミッキーと並んで撮った写真。娘のこわばった笑顔。娘は着ぐるみが苦手な子だった。そんな娘に半ば無理矢理撮らせた写真は、果たしてただの不在通知なのか。私は娘にとって父親たりえたのか。私は、娘は‥‥
洗い物をする妻の背中に声をかけ、食卓の弁当を鞄にしまい、私は出勤した。
いつも通り会社に娘はいなかった。同じ部の後輩の女子社員がお茶を出してくれる。
「おはようございます。いつも通り十時からミーティングだそうです。」
そう、いつも通りなのだ。
いつも通りミーティングを済ませ、いつも通り弁当を食べに公園へ行き、いつも通り午後も仕事をこなし、シナモンシュガーのパンを食べる。そして残業してから家に帰るだけだ。いつも通り、何も恐れることもない。娘が家にいるかいないかの違いで、どこかで生活しているのだ。わたしがすべきは目の前のミーティングなのだ。
私は会議室に向かいながらマンホール埋めの進捗状況の資料をを確認した。あと三カ月で一万個。悪くない数字だった。
マンホール埋め。そう、去年から国主導のプロジェクトとして始まったものなのだが、要はあらゆるマンホールというマンホールをアスファルトの下に埋めてしまおうということである。近年、ここ日本ではゲリラ豪雨、というものが多くなった。そして冠水した道路ではマンホールがはずれてしまい、雨水の流れの下にぽっかりとした穴をつくることになってしまう。その穴に、道行く人々が、なぜか十代の若者がほとんどなのだが、飲み込まれてしまい、場合によっては命を落とすという事故が多発しているのだ。故に穴を塞いでしまう、そういうわけだ。
私の会社が管轄するこの町では実験的に早くからその作業に取りかかっていたため、主要な道々のほとんどのマンホールは埋め終わっていた。あと一息で今回のプロジェクトも一つの区切りを向かえる。ミーティングの前半を占める儀礼的で、いくらか長すぎる経過報告を聞き流しながら、ぼうと思いふけていると、ふと娘の線の細い後ろ姿が頭をよぎり、いやな寒気のようなものがスーツ越しの私の背中を撫でた。
会議は進み、現在のマンホール埋めの進捗についての話題になった。後輩の女子社員がスライドを映す。
「今年は異常気象で、今までのデータを元にした予想がほとんど機能しておりません。東京地方ではすでにゲリラ豪雨が猛威をふるっています。一部の工事は中断し、地域住民への注意勧告を行うしかないかと思われます。」
様々なデータが私の寒気を加速させる。十代の若者がほとんど。ゲリラ豪雨。今年は異常気象で、天候の予想が出来ない‥‥
娘の安否が気になり、すぐにでも探しに行きたくなった。しかし今は会議中で、私は途中退席する権限など持っていない。理由もわけがわからない。娘がマンホールに落ちているかもしれないから、探しに行かせてくれ。頭がおかしいと思われる。
今にも動き出したい私の心とは裏腹に、両足は会議机の下、地に根を生やしている。まるで、膝の上にシナモンシュガーがぼろぼろとこぼれてしまっているように。
2010年10月20日水曜日
2010年10月18日月曜日
リレー小説:マヨネイズ
マヨネーズがお金並に大事な概念の世界の話
でもみんなそんなにマヨネーズが好きなわけではないし、普通に食べる。
この物語の主人公。そう、仮に、僕としよう。
「僕」はまずまずの家庭と町に生まれ育ち、そこそこの国立大学を4年前に卒業して今はなかなかに名の知れた商社に勤めている。
マヨネーズに不自由した日も、マヨネーズについてよく考えてみた日も、今まで一度もなかった。
マヨネーズでセックスだとかなんとか言っていた時期もあったが(正確にいうと僕は「言って」はいない,聞いていた)4年だか7年だか経つと本当にそんな時期があったかさえあやふやなものだ。
しかしながら先にもふれたように、だれもマヨネーズの事で悩むことも喜ぶこともない。
さしずめ現在の僕のように右手と左足が手錠で繋がれた状況で,壷いっぱいのマヨネーズをマングースに均等に与えないといけないという状況を除いては。
「まずは均等の定義から考えよう。」
僕は孤独感を少しでも和らげようと、声に出して言ってみた。
しかしどん欲なマングース達は僕の言葉を端から食べ尽くし、後にはゲップとさらに大きな孤独が残った。
「この空間で言葉は無意味だ。俺を増長させるだけだぜ。」
孤独が口もないのにそんなことを言った。
同じ時刻、新宿のはずれにあるバーでエリはすっかり気の抜けたシャンディガフを飲み干して、深いため息を吐き、新しいタバコに火をつけた。今日一日をエリは昨日突然死んだ姉のことを考え、そしてそのおそらく直接の死因であろうマヨネーズについて考えて過ごした。エリの姉はエリの人生にとってとても無意味な存在であったし、マヨネーズについても同じだった。
言ってしまえば姉もマヨネーズも等価なのだ。肌が白い人だったからそのようにまとめてしまってもいいのかもしれない。私とは対照的にどんな集団にも目立ち過ぎずに欠かせない存在になる姉の性格もマヨネーズと同じなのだろう。同じ親から生まれたのに浅黒い肌でブサイクで気の利かない私に「エリ」という名前はもったいないのだ。
こんな具合に私の思考は自分を卑下するところに行きつく。そして自分を卑下したところから―コインの表から裏に返し、また表にするように―また自分とは真逆の出来の良い人のことを考える。名前はうまく思い出せないが大学のサークルの先輩は、そつなく大学を卒業して名の知れた商社に就職したと噂で聞いた。
うまくいく人はマヨネーズを得る。得たマヨネーズでさらにうまくいく。じゃあマヨネーズを持っていない私はどうなる?最初から持たざる私には、マヨネーズなど高値の華なのか。いや、マヨネーズ自体が価値なのだから、マヨネーズに高値も安値もない。思考がどんどん混濁していく。
「マヨネーズについてお考えですか?」
男が現れた。いつからそこにいたのか、それすらわからないほど酔っていたのか、男は空気をかき回してできたみたいに突然やってきた。
「なぜわかるのかしら。」
私はそう聞き返した。
男は右手にはめた大きめの腕時計をちらっと見て、少々時間をいただけないかと言ってきた。
私は本当に酔っていたのだ。その提案を受けてしまったのだから。
男はこう話しを始めた。
「私は以前、マングースと縁がありましてね‥‥」
2010年10月1日金曜日
私は今日まで生きてみました
たまたまラジオでその歌がハガキのネタに登場して、聞きたくなったからだ。
YouTubeにアクセスし、曲名で検索。すぐに目的の動画は見つかった。
再生は自動で始まり、曲を聴きながら僕はマウスのホイールを手前に転がし、コメント欄を眺めた。
小学校の頃からファンです。今では孫2人 がんばれ拓郎
というコメントがあった。
このコメントを見た瞬間、なんだかいろんなことがうわぁっと頭にやってきた気がした。
昭和のこと、平成のこと、テープ、CD、音楽雑誌、インターネット、エアチェック、iTunes Store、子供のこと、大人のこと‥‥
今日から10月が始まる。
2010年8月29日日曜日
夏休みの友
国語
ストーブ、入道雲、ニシキヘビの3単語を入れてお話を作りなさい。
算数
生命、宇宙、そして万物についての究極の答えを求めよ。
理科
星座とその由来をでっちあげなさい。
社会
教科書に載っている歴史上の人物の教科書に載っていない名言で好きなものを書きなさい。
2010年7月25日日曜日
首脳怪談(スプラッター)
これは僕の友人に聞いた話なんですけどね。
あるところにね、奇妙な男がいたんです。いつも道端の茸やら鳥の羽やらを持ち歩いていて、ぶつぶつ何かをつぶやいていたり、急に茸をたべはじめたり…
そんなある日、僕の友人がその男の独り言を聞いてみたんです。するとどうも友人には見えていないものが見えているみたいなんだ。
「目の前に洋館がある…」「ペットが恐がって入りたがらない」「しょうがないから一人で入る」
男はどうやらその我々には見えない洋館に入ったらしい。
「幽霊がたくさんいる…」その洋館は幽霊屋敷だったようで、男はなんとか出口を見つけようと走り回ったそうです。
意外にも幽霊は近くを通っても何もしてこないらしく、男は出来るかぎり走って洋館をめぐっていきました。
すると、ある部屋で一際大きな幽霊を見つけた、幽霊は顔を伏せ、こちらに目をあわせない。他の幽霊と同じで、近寄っても動かない。
これも走ってやりすごそう、と思ったが、足場が悪くてどうにも走りにくい。
仕方なくゆっくり行くと、背後からいや~な気配がする。それはそうです、さっきの幽霊がいるのですから。
しかしあまりの気配にふっと振り向くと…
幽霊がこちらをむいているんです。横を通り過ぎたわけだから、後ろをむいていないといけないのに。
男は焦りました。何かがおかしい。早くここを抜けなければ。
しかしそれを足場が巧妙に阻みます。またいや~な気配が。今度はどんどん近づいてきます。
さらに焦る男、何やら笑い声すら聞こえてきて、もう男にもわかります、幽霊です、幽霊が追ってきているんです、あぁ怖いなぁ恐ろしいなぁ、早くここから出たいなぁ。
幽霊はあと少しのところまで来ている。急ぐ男。
すると目の前にEXITの文字が見えた。あぁ、やっと出口だ。
その油断がいけなかった。急に背後の気配が濃くなり、振り向くまもなく男は…
てれっててれってて
気が付いたら男は、マップ画面に戻って、ペットのヨッシーに乗っていたそうです…
2010年7月7日水曜日
友達に宿題をやってもらった
2010年7月6日火曜日
うなぎのぼり
うなぎのぼりという言葉があります。物事が上り調子だったりしてぐんぐんのびていく様を表す言葉、だと私は思っています。
しかし、実際にうなぎがのぼるところを見たことはありません。もしくはうなぎが何かをのぼる、という物語を読んだこともなく、映像作品を見たこともありません。
自分が見たものが全て、だとするのは危険な思考ですが、もしかしてあなたもうなぎがのぼる姿を思い浮かべることができないのではないでしょうか。だとしたら、うなぎのぼりという言葉は、私たちにとってどのように担保されて日々使われている言葉なのでしょうか。
こういうとき現代社会というのは便利なもので、世界中の親切な誰かが書いてくれたウィキペディアで、答えを探すことができます。そこには一説として、うなぎの川を遡上する能力の強さから来た言葉、と書いてありました。
おそらく天然うなぎがいっぱいいた時代に生まれた言葉でしょう。私にとってうなぎの話といえば江戸時代しかありません。世の中には馬鹿な人というのがいるもんでして、長屋で一番馬鹿なはっつぁんがうなぎがくいてえと思いましたところ悪友のゴン左右衛門が「はっつぁん、はっつぁあん!」とやってきまして
と、落語の影響でしょうか、とにかくうなぎといえば江戸時代なんです。
うなぎのぼりと聞いてまずぬるぬるのうなぎを捕まえようとしたうなぎ屋の手からうなぎが力強く身体をくねらせ、青い空に向かって逃げようとする、そんなイメージを思い浮かべます。
失敗してまた桶にうなぎを落としたうなぎ屋がカミさんに
「何やってんだいあんたは!」
と怒られたうなぎ屋がなにくそ!とむきになって何度もうなぎを捕まえようとし、ようやく捕まえたころにはすっかり弱ってしまったうなぎ、
「あんたそれじゃあ売り物にならないじゃないかい!うちはうまい鰻を食わせるってんでご近所さんにもひいきにしてもらってるんだよ!」
と叱責されるうなぎ屋、それを見て何かをひらめくゴン左右衛門、最後はここらで一杯肝吸いが怖いと。
夜中にこんな鰻の話をするのは、テレビを見ていたら一〇時くらいにうまい餃子をタレントが食べていて、腹が空いた上に腹が立ったので、この感じを共有したかったのです。皆さんの文句は怖くありません、いや怖いです、ほんとの意味で。落語的には怖くないです、腹いっぱいです。本当に。
2010年5月15日土曜日
イントロン
2010年5月10日月曜日
ノンフィクション
その女の子は掌の中に空想のハムスター(ジャンガリアン:白)を飼っている。
まるくなってうとうとしているそれを大事に両手で包み込んで
眺めたり、つついたり、そっと鼻先に触れてみたり。
女の子の家では猫を飼っている。
女の子はハムスターを守るためにその猫を絶対に部屋にいれないし、
どうしても手を離さなきゃいけないときには頑丈な筆箱の中にそっとしまっておく。
(中略)
言語に始まり、もちろん対人のそれを含め、
時間軸の上に、何かしらの「関係性」が生まれる瞬間が無数に存在しているのが見て取れる。
それはきっとアイデンテチイや意味といったものの「分化」であると思うし、その枝分かれややスイッチングのなかで、一つは一つとしての体裁を保っている。
それは複雑に絡みついた輪のようなもので、俯瞰することはできない。
電車の中、向かいの窓を流れていく見慣れた街並みを眺めていると、
窓を隔てていくつもの一人称といくつもの二人称がにらみ合い、そしてすれ違う。
僕が彼としていくつも存在して、その都度のあなたをきちんと演じる他には、
もう目を固く閉じ、イヤホンから聞こえるバッハに集中しながら、駅を待つしかないのだろう。
(中略)
今日はとてもイチゴ大福が食べたい。
***
シマードゥ・ユフキーコフ 「自伝」第七巻 三章:理想の女性像 其の二「小芋のスープパスタ」より抜粋
2010年5月6日木曜日
猫にマタタビ、馬鹿がまた旅
文中の書籍にあてられてこの文章を書きました。
神戸からの帰途。
空港から札幌市へと向かう電車に乗り、チベット放浪を読んでいると、中国人であろう一家と乗り合わせる。
夫婦の会話。娘達と父親、母親との会話。
聞き慣れない言葉と響き、リズム。耳を澄ませる。
一家の幼い姉妹二人が異国の歌を口ずさんでいる。
すると、不思議な感覚がじわじわと去来してきた。
マスクをしているのに、濃厚な、甘いような柔らかい固まりが、鼻腔へと侵入を果たしてくる。
それは匂いだった。
車内にあふれるこの地の酸素が、窒素が、二酸化炭素が、アルゴンが、少女達の歌と化学反応し、芳香を、懐かしいかおりを放っているのだ。
乾燥した空気から喉を守るという理由を建前に、その実気恥ずかしさと自閉のためにつけているマスクをこえて、砂糖、スパイス、そして一匙の寂しさを混ぜ合わせた匂いを、感じたのだ。
その匂いは車両を満たし、心地よい違和感を、僕に与えてくれた。
僕が電車に乗っているのは、実家から下宿へと戻るためだ。そこに旅の要素は本来ない。
だから僕はいつも移動中に旅の本を読む。長い移動の時間つぶしと、肉体と精神の座標のぶれを活用するために。
しかし旅とは光であり、音であり、匂いであり、味であり、肌触りである。全てそろえて旅として満足する。
妄想の旅にばかりふけっていると、落ち着かなくなってくる。空腹の痛みから、胃を落ち着けようと少しの菓子を食い、かえって飢餓感をあおられるのと同じ感覚。
ほんの二月前には出かけたのに、もう旅がしたくなってきた。鞄の中には少しの着替えと2冊の小説、マスクは置いて旅に出ようか。
2010年4月22日木曜日
今日の料理
夜中の3時に小腹が空いて、なんかあるかな、と冷蔵庫を見ると、小麦粉、卵、バターなんかが目について、ホットケーキを思いついちゃって。そしたらもうホットケーキがたまらなく食べたくなって、で、ホットケーキミックスを使わないホットケーキレシピのウェブページを、知ってたから、それ見たら、牛乳がないと。ほかの材料はみんなあったんだよ。卵とか、小麦粉とか、ベーキングパウダーとか、馬の心臓とかね。馬の心臓はもう冷蔵庫にひしめいて、ひひんひひんいなないてるぐらいあったんだけどね、どっくんどっくんひひんひひん、かーんかーんかーんかーんおらあああああまくれえええええだあああああああって。まあ、牛乳はなかったのよ。うち牧場じゃなくてパドックだからさ。ええええ、パドック限定?んでそれでもういてもたってもいられなくなっちゃって。どうにかして牛乳を手に入れなくちゃならないと。幸い自転車すっ飛ばして5分のところに実験農場があって、全身に乳首のある牛とかいっぱいいるわけ。でそのドドリアさんの頭みたいな牛の乳首をデコピンでぴーんとかしながら、牛乳を盗もうかな、もう乳首が全部連動してるから一つの乳首をつまむとほかの乳首という乳首から牛乳がびゅーびゅー出ちゃって、盗もうとすると全身牛乳まみれになっちゃうから、ああ、やめておこう。ってなって。そしたら買うしかないと。もしくは飼うしかないと。牛を。まあすぐ食べたいから牛乳買ってこようと思って。紙のね、パックに入った。近所にローソンもあるし、24時間営業のスーパーもある。でもさすがに夜中の3時に買いに行くのは何だかなと。あと夜中の3時にホットケーキなんか食べていいのかなって思ってきて。もう食べたくて腹の虫も「これ、君、紳士の私もホットケーキを今すぐ食べなければ態度を改めるよ。早くしたまえ。」なんて言い出して。腹の虫紳士が言うんだからそりゃ聞かなきゃなと思ったんだけど、はたと。ホットケーキなら朝ご飯にできるなと。いったん紳士には「大変恐縮ではございますがどうか収まっていただけないでしょうか。」って言って根回しをしておいて、朝7時回ったくらいに牛乳買いに行けば、まあ悪くないかなと思って。であと4時間ほどソリティアとかして、7時ちょっと前に急いで自転車走らせてスーパー行って、牛乳とかメープルシロップ買って、家に着いたら西に向かってお祈りして、紳士と二人でコーランについて語り合ったあと、早速作り始めて。もう背中とお腹がくっついて朝の新聞に間に合うくらいになってるから、いくらでも食べられるような気がするのよ。ちょっと田中ちゃーん、この記事差し替え!すぐ輪転機回して!みたいなね。で、2人前作って、三段に重ねて、ホットケーキとホットケーキの間にバター挟んで、一番上にもバターたくさん載せて、メープルシロップをうわああとかけて。ちょっとした枕になるくらいになったホットケーキ前にして、紳士と二人で「やりましたな。」って料亭で固く握手して、もう料亭で飯食っちゃえよ!みたいになって、漫画みたいにナイフ入れて、フォークで一口。もううまいの。ちゃんと卵をふわふわするくらい混ぜてあるし、堅さもしっかりするように調節して。ぱくぱく食べて、でもあれホットケーキじゃん。味はずっとホットケーキなわけ。だんだん飽きてくるの。ベンツのエンブレムみたいに1/3くらい食べたあたりで、ああ、これ全部食えないな。だって2人前だし。いくら食べ盛りの1人暮らしだからって枕みたいなホットケーキ3枚重ね食べるのは無理だなと。普通に半分食べて残りはおやつにしました。冷蔵庫に入れちゃった。しばらくホットケーキなんか見たくねえな。なんだあれ。
2010年4月20日火曜日
響をめぐる冒険
ラジオといえば、最近村上春樹の「辺境・近境」を読んで、こんな話に行き会った。
文章を読んだり書いたりする機会を意図的に増やしている最近の僕にはなかなか興味深い話だった。以下、一部省略したものを紹介。
故郷の村を離れ都会へと出てきたとあるインディオの青年のお話。
彼は彼の故郷の村においては飢えたことがなかった。
貧乏な村だったが、もし彼がお腹を減らしているとしたら、誰かに
「こんにちは。」
と挨拶をするだけでよかった。
すると、相手はその声を聞いて
「ああ、おまえは腹を減らしているようだな。うちに来てご飯をお食べ。」
と言ってご飯を食べさせてくれた。
「こんにちは。」
という言葉の響きかたひとつで、相手が空腹かどうか、からだの具合が悪いかどうか
までちゃんとわかってしまうのだ。
都会に出たばかりの青年は、お腹が減るといろんな人に向かって
「こんにちは。」
と言ってまわった。でも誰も彼にご飯を食べさせてはくれなかった。
彼はお腹が減って声が出なくなるまで
「こんにちは。」
と言ってまわった。そして最後に彼は認識した。
「ここでは誰も言葉の響きというものを理解しないのだ。」と。
ラジオは音のみのメディアなので、ある意味響きがとても伝わりやすい。むしろ表情が見えない分、より言葉の響きに注目してコンテンツを提供しなければならない。
文章にも文章の響きがある。文章がそもそも言葉によって裏付けられたもの、それは言葉の響きととても似ていて、でも違う部分もある。
これは読者としての感想だが、やはりいい作家の文章にはいい響きがあるような気がする。
響きについて今はまだうまく言葉にできないので、どんな形でも、しばらく響きに注目してみようと思う。それこそ誰かと話すくらいのことでも。普段は無意識にやっていることかもしれないが、それを意識的に行うというのは案外なかなか難しい。無意識を意識に浮かび上がらせることができれば、何かがわかるかもしれない。寝起きのメガネや出がけの鍵とかね。
おまけ
「こんにちは。」ゲーム。
様々な状態を「こんにちは。」という言葉の響きで相手に伝えるゲーム。
ルール
・複数人でやる。ふたりでもいいけどちょっと盛り上がりにかけると思う。
合コンではやらない。たぶん盛り上がらない。でもこれで盛り上がってくれる女の子はきっといい子。
1,まず、青年役を決める。青年役をやるのは女の子でもいいよ。
2,青年役はまずお腹がすいている状態の
「こんにちは。」
をやる。全員それを理解している。
3,次に青年役は何かしらの心理状態を思い浮かべ(最初は簡単なのがよい。あんまり奇をてらったり受けを狙うのは面白くないよ。)その状況を演じて
「こんにちは。」
という。
4,村人役(ほかの連中)はその
「こんにちは。」
を聞いてどんな状況なのかを当てる。ただそれだけのゲーム。
なんだか眠れない、そんな夜には、言葉の響きに耳をすましてみるのはいかがかしら。
あと誰か僕と「こんにちは。」ゲームしてください。
2010年4月17日土曜日
ラジオの悲観
寝る前にはラジオをよく聞いているので、自然ラジオの夢を見ることが結構あった。
さて、radikoというコンピュータを使ってラジオを聞くIPサイマル放送の試験運用が始まった。
AMラジオもFMラジオもノイズのほとんどないクリアな音質で、しかも建物の中など電波の届かない場所でも大丈夫、といううれしい代物だ。利用可能地域にいたので試しに使ってみた。試験放送を試しに聞く。なんちゃって。
・・・・・・しかし、聞いてみてとても困ったことがある。
それはあまりに音質が良すぎるせいで、パーソナリティの話が途切れる瞬間が物凄く怖く感じることがあるのだ。
放送事故、という業界用語があり、テレビだとよくポロリとかに使われるが、ラジオ業界だと無音状態が続いてしまうこともこれに含まれる。
ラジオにとって無音とは「事故」につながる危険な瞬間ともいえるわけである。そんな放送事故ぎりぎりの無音を、何でこんな何年もやっているパーソナリティがやらかすのか、と疑問になる。ほかのラジオも聞くと、そこでも不安な無音があった。なぜだ?ラジオに慣れていないだけだろうか?とも思った。
だが、ラジオはそれほど熱心とは言えないにしても結構聞いてきた。
中学時代は放送終了のコールサインを覚えるほど深夜放送を聞いていたし、高校では録音されたオールナイトニッポンをそれこそ一日中聞いていた。
慣れていないわけがないだろうに、なぜ今さら?と首をかしげる。
radikoは試験放送なので、まだ関東関西の一部都府県でしか聞くことができない。下宿では残念ながら聞けないので、パソコンにつなぐラジオを購入した。
あまりいい性能ではないが、まあ聞けないことはない。ノイズにも味があるじゃないか、と思ってはたと気が付いた。
ノイズがあるから、無音に耐えられたのだ。
常に流れ続けるAMラジオ独特のザザァっとしたノイズが、無音をまろやかに包み、心地よくしてくれる。(ちょっといいすぎ)
radikoが下宿でも使えるようになればそれを使うし、早くそうなってほしいのだけれど、果たして音質がよくなるだけでいいのか?とも思ってしまうのだった。
ちなみに下宿ではピョンヤン放送だかプサン放送だかが聞けます。
これもラジオの面白いところだよね。
2010年4月16日金曜日
2010年4月14日水曜日
2010年4月10日土曜日
夢百夜
メモといえば、自分の夢をメモしたテキストファイルを見つけました。
これは最近作ったものでちゃんと覚えていました。忘れるからには記憶していることだって当然あるわけですよ。
夢日記、みたいなものですが、少し毛色が違うように思います。なぜならこれは幼稚園とか小学校とか通っていた時代に見たものから今に至るまで覚えている夢について”今”書いたものだからです。
夢なんていうのはあんまり覚えていないもんですが、印象的な夢、というのは結構覚えているもので未だに夢で見た光景を脳裏に浮かべることができます。
しかし覚えているのにも多少の理由があって、それは高校生のときに1度夢に出てきた風景を地図にしたことがあるからです。
それぞれの夢は見た時代はばらばらでも、地図として意味を持たせて配置すると、なんだか意味深に感じてきます。気のせいでしょうが。
夢で見たような風景を、現実に見てみたい。自分の夢が果たして他人から見てどのような印象を受けるのか知りたい。ライフワークのひとつです。
夢の取り扱いっていうのはなかなか難しくて、フロイト先生一派なんか夢をものすごい情報として扱うのですが、夢にあまり過度な期待や、情報を求めなる風潮ってあまり好きになれません。
夢は夢、ただそれだけでいいじゃないですか。ね。
2010年4月3日土曜日
メモ禍
よく物忘れをします。若い身空に、と思いますが異常だと思うレベルで物忘れをします。
こうなるとだんだん悪慣れしてきて、ああ、これは忘れるな、と頭で思ったことを平気で忘れたりします。
やっぱり覚えやすい情報と覚えにくい情報とがあって、それらの見分けがついてくるわけですね。
で、これは覚えにくいなーと思ったら、案の定忘れるのです。
忘れるので何か思い出せませんが、よくあります。
そこで私は考えるまもなく思いつきました。
メモをとろう。
メモをすればいいのです。今まで何度となく思いついて実行してきました。
そしてメモ帳が終わったりなくなったりするたびにメモをとっていた事実を忘れるのです。
ああ、なんたる神のいたずらか、メモをとるという行為は覚えにくい情報なのです。
やはり普段から持ち歩く癖をつけるか、持ち歩いているものでメモをとるしかない。
幸い携帯電話をよく持ち歩いています。たまに忘れますが。
データの取り扱いを考えてメモをパソコンのメールアドレスへと送信してテキスト化して管理することにしました。
早速実行していますが、やんぬるかな、そうするとさらなる忘却の悪魔が春先の命のごとく湧いて生まれるのです。
メモした内容の意味を忘れる。
メモは詳しく書く手間が惜しいのでなるべく簡素化して書くのですが、そうすると逆に重要な内容を忘れるのです。
今、メモを見返していてひたすら首をひねっています。
「カレー皿の企画」
これはいったいなんなんでしょうか?どんな企画なんでしょうか?なぜカレーなんでしょうか?シチューじゃ駄目なんですか?2位でもいいじゃないですか?1位にこだわる意味はあるんでしょうか?
いきすぎた頭の事業仕分けに困り果てる日々です。大事なことを忘れないで生きていきましょう。
あと私と会話した人はなるべくその内容で興味深かったことを覚えておいてください。