2010年5月15日土曜日

イントロン

最近の一つのテーマとしてコミュニケィション
伝達ということについて、いろんな場面で語ってきました。


伝達というものに常につきまとう劣化という現象。
これはとても厄介でもあり魅力的でもあるわけです。
劣化と表現せず、変容といった方がよいのかもしれません。


上のようなものが私の主な立ち位置であった訳でありますが、
ふと、思いついたことを今日は書いてみようと思います。



さてさて、皆様突然ですが、親しい方と語り合うということが
最近あったでしょうか?それを思い出してみて、どれだけのことを
皆様覚えていますか?例えば、大きなテーマ、相手の主張、
自分の主張。などを覚えているでしょうか?
それくらいなら覚えていると思われます。
しかし、伝達における情報とはそれだけでない、
表情、言い回し、身振り手振り。などなど様々な情報があります。
一字一句、その時をアーカイブできることはあり得ないことです。


あたりまえ、なのですが…


ふと、思ったことは、この記憶されていない情報
この割合はものすごく高いものなのでは?
ということです。

どれほどか?わかりませんが8割9割が
記憶されず直接的な情報として
”伝達されなかった”
のではないでしょうか?
あたかも、遺伝におけるイントロンの様に


伝達、というのはこんなにも効率が悪いのか
と考えだすとなんだか息苦しくなってしまうのですが。
だからこそ、こんなにもコミュニケィション
ということにこだわるのかもしれません。






1 コメント:

spao さんのコメント...

オルタナティブスプライシングがあるように、伝達はレシーバーの数ほどの内容が生まれる、と思う。
環境の急激な変化に耐えるのには有性生殖が有利だ。不器用だからこそいとおしい、僕らの言語。
あと伝達の完全なアーカイブが世界に何をもたらすのか、非常に興味がある。ユートピアなのか、はたまた1984的世界が出現するのか。

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