2010年4月17日土曜日

ラジオの悲観

夢といえば、夜寝る前に読んだ本とか、直前に仕入れた情報に関係した夢を見ることがある。

寝る前にはラジオをよく聞いているので、自然ラジオの夢を見ることが結構あった。

さて、radikoというコンピュータを使ってラジオを聞くIPサイマル放送の試験運用が始まった。

AMラジオもFMラジオもノイズのほとんどないクリアな音質で、しかも建物の中など電波の届かない場所でも大丈夫、といううれしい代物だ。利用可能地域にいたので試しに使ってみた。試験放送を試しに聞く。なんちゃって。

・・・・・・しかし、聞いてみてとても困ったことがある。

それはあまりに音質が良すぎるせいで、パーソナリティの話が途切れる瞬間が物凄く怖く感じることがあるのだ。

放送事故、という業界用語があり、テレビだとよくポロリとかに使われるが、ラジオ業界だと無音状態が続いてしまうこともこれに含まれる。

ラジオにとって無音とは「事故」につながる危険な瞬間ともいえるわけである。そんな放送事故ぎりぎりの無音を、何でこんな何年もやっているパーソナリティがやらかすのか、と疑問になる。ほかのラジオも聞くと、そこでも不安な無音があった。なぜだ?ラジオに慣れていないだけだろうか?とも思った。

だが、ラジオはそれほど熱心とは言えないにしても結構聞いてきた。

中学時代は放送終了のコールサインを覚えるほど深夜放送を聞いていたし、高校では録音されたオールナイトニッポンをそれこそ一日中聞いていた。

慣れていないわけがないだろうに、なぜ今さら?と首をかしげる。

radikoは試験放送なので、まだ関東関西の一部都府県でしか聞くことができない。下宿では残念ながら聞けないので、パソコンにつなぐラジオを購入した。

あまりいい性能ではないが、まあ聞けないことはない。ノイズにも味があるじゃないか、と思ってはたと気が付いた。

ノイズがあるから、無音に耐えられたのだ。

常に流れ続けるAMラジオ独特のザザァっとしたノイズが、無音をまろやかに包み、心地よくしてくれる。(ちょっといいすぎ)

radikoが下宿でも使えるようになればそれを使うし、早くそうなってほしいのだけれど、果たして音質がよくなるだけでいいのか?とも思ってしまうのだった。

ちなみに下宿ではピョンヤン放送だかプサン放送だかが聞けます。

これもラジオの面白いところだよね。

1 コメント:

Itsuki さんのコメント...

ちょうど同じようなことを考えてた。 うちの場合はCDが再生されてから一曲目が鳴り出す数秒に対してやけど。

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