2010年5月6日木曜日

猫にマタタビ、馬鹿がまた旅

文中の書籍にあてられてこの文章を書きました。


神戸からの帰途。
空港から札幌市へと向かう電車に乗り、チベット放浪を読んでいると、中国人であろう一家と乗り合わせる。
夫婦の会話。娘達と父親、母親との会話。
聞き慣れない言葉と響き、リズム。耳を澄ませる。
一家の幼い姉妹二人が異国の歌を口ずさんでいる。
すると、不思議な感覚がじわじわと去来してきた。
マスクをしているのに、濃厚な、甘いような柔らかい固まりが、鼻腔へと侵入を果たしてくる。
それは匂いだった。
車内にあふれるこの地の酸素が、窒素が、二酸化炭素が、アルゴンが、少女達の歌と化学反応し、芳香を、懐かしいかおりを放っているのだ。
乾燥した空気から喉を守るという理由を建前に、その実気恥ずかしさと自閉のためにつけているマスクをこえて、砂糖、スパイス、そして一匙の寂しさを混ぜ合わせた匂いを、感じたのだ。
その匂いは車両を満たし、心地よい違和感を、僕に与えてくれた。


僕が電車に乗っているのは、実家から下宿へと戻るためだ。そこに旅の要素は本来ない。
だから僕はいつも移動中に旅の本を読む。長い移動の時間つぶしと、肉体と精神の座標のぶれを活用するために。
しかし旅とは光であり、音であり、匂いであり、味であり、肌触りである。全てそろえて旅として満足する。
妄想の旅にばかりふけっていると、落ち着かなくなってくる。空腹の痛みから、胃を落ち着けようと少しの菓子を食い、かえって飢餓感をあおられるのと同じ感覚。
ほんの二月前には出かけたのに、もう旅がしたくなってきた。鞄の中には少しの着替えと2冊の小説、マスクは置いて旅に出ようか。

2 コメント:

sima さんのコメント...

うんと少ない荷物の旅がしたくなりました。

spao さんのコメント...

旅上手は荷物が少ないってメーテルが言ってた。

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