2010年10月20日水曜日
2010年10月18日月曜日
リレー小説:マヨネイズ
マヨネーズがお金並に大事な概念の世界の話
でもみんなそんなにマヨネーズが好きなわけではないし、普通に食べる。
この物語の主人公。そう、仮に、僕としよう。
「僕」はまずまずの家庭と町に生まれ育ち、そこそこの国立大学を4年前に卒業して今はなかなかに名の知れた商社に勤めている。
マヨネーズに不自由した日も、マヨネーズについてよく考えてみた日も、今まで一度もなかった。
マヨネーズでセックスだとかなんとか言っていた時期もあったが(正確にいうと僕は「言って」はいない,聞いていた)4年だか7年だか経つと本当にそんな時期があったかさえあやふやなものだ。
しかしながら先にもふれたように、だれもマヨネーズの事で悩むことも喜ぶこともない。
さしずめ現在の僕のように右手と左足が手錠で繋がれた状況で,壷いっぱいのマヨネーズをマングースに均等に与えないといけないという状況を除いては。
「まずは均等の定義から考えよう。」
僕は孤独感を少しでも和らげようと、声に出して言ってみた。
しかしどん欲なマングース達は僕の言葉を端から食べ尽くし、後にはゲップとさらに大きな孤独が残った。
「この空間で言葉は無意味だ。俺を増長させるだけだぜ。」
孤独が口もないのにそんなことを言った。
同じ時刻、新宿のはずれにあるバーでエリはすっかり気の抜けたシャンディガフを飲み干して、深いため息を吐き、新しいタバコに火をつけた。今日一日をエリは昨日突然死んだ姉のことを考え、そしてそのおそらく直接の死因であろうマヨネーズについて考えて過ごした。エリの姉はエリの人生にとってとても無意味な存在であったし、マヨネーズについても同じだった。
言ってしまえば姉もマヨネーズも等価なのだ。肌が白い人だったからそのようにまとめてしまってもいいのかもしれない。私とは対照的にどんな集団にも目立ち過ぎずに欠かせない存在になる姉の性格もマヨネーズと同じなのだろう。同じ親から生まれたのに浅黒い肌でブサイクで気の利かない私に「エリ」という名前はもったいないのだ。
こんな具合に私の思考は自分を卑下するところに行きつく。そして自分を卑下したところから―コインの表から裏に返し、また表にするように―また自分とは真逆の出来の良い人のことを考える。名前はうまく思い出せないが大学のサークルの先輩は、そつなく大学を卒業して名の知れた商社に就職したと噂で聞いた。
うまくいく人はマヨネーズを得る。得たマヨネーズでさらにうまくいく。じゃあマヨネーズを持っていない私はどうなる?最初から持たざる私には、マヨネーズなど高値の華なのか。いや、マヨネーズ自体が価値なのだから、マヨネーズに高値も安値もない。思考がどんどん混濁していく。
「マヨネーズについてお考えですか?」
男が現れた。いつからそこにいたのか、それすらわからないほど酔っていたのか、男は空気をかき回してできたみたいに突然やってきた。
「なぜわかるのかしら。」
私はそう聞き返した。
男は右手にはめた大きめの腕時計をちらっと見て、少々時間をいただけないかと言ってきた。
私は本当に酔っていたのだ。その提案を受けてしまったのだから。
男はこう話しを始めた。
「私は以前、マングースと縁がありましてね‥‥」
2010年10月1日金曜日
私は今日まで生きてみました
たまたまラジオでその歌がハガキのネタに登場して、聞きたくなったからだ。
YouTubeにアクセスし、曲名で検索。すぐに目的の動画は見つかった。
再生は自動で始まり、曲を聴きながら僕はマウスのホイールを手前に転がし、コメント欄を眺めた。
小学校の頃からファンです。今では孫2人 がんばれ拓郎
というコメントがあった。
このコメントを見た瞬間、なんだかいろんなことがうわぁっと頭にやってきた気がした。
昭和のこと、平成のこと、テープ、CD、音楽雑誌、インターネット、エアチェック、iTunes Store、子供のこと、大人のこと‥‥
今日から10月が始まる。
2010年8月29日日曜日
夏休みの友
国語
ストーブ、入道雲、ニシキヘビの3単語を入れてお話を作りなさい。
算数
生命、宇宙、そして万物についての究極の答えを求めよ。
理科
星座とその由来をでっちあげなさい。
社会
教科書に載っている歴史上の人物の教科書に載っていない名言で好きなものを書きなさい。
2010年7月25日日曜日
首脳怪談(スプラッター)
これは僕の友人に聞いた話なんですけどね。
あるところにね、奇妙な男がいたんです。いつも道端の茸やら鳥の羽やらを持ち歩いていて、ぶつぶつ何かをつぶやいていたり、急に茸をたべはじめたり…
そんなある日、僕の友人がその男の独り言を聞いてみたんです。するとどうも友人には見えていないものが見えているみたいなんだ。
「目の前に洋館がある…」「ペットが恐がって入りたがらない」「しょうがないから一人で入る」
男はどうやらその我々には見えない洋館に入ったらしい。
「幽霊がたくさんいる…」その洋館は幽霊屋敷だったようで、男はなんとか出口を見つけようと走り回ったそうです。
意外にも幽霊は近くを通っても何もしてこないらしく、男は出来るかぎり走って洋館をめぐっていきました。
すると、ある部屋で一際大きな幽霊を見つけた、幽霊は顔を伏せ、こちらに目をあわせない。他の幽霊と同じで、近寄っても動かない。
これも走ってやりすごそう、と思ったが、足場が悪くてどうにも走りにくい。
仕方なくゆっくり行くと、背後からいや~な気配がする。それはそうです、さっきの幽霊がいるのですから。
しかしあまりの気配にふっと振り向くと…
幽霊がこちらをむいているんです。横を通り過ぎたわけだから、後ろをむいていないといけないのに。
男は焦りました。何かがおかしい。早くここを抜けなければ。
しかしそれを足場が巧妙に阻みます。またいや~な気配が。今度はどんどん近づいてきます。
さらに焦る男、何やら笑い声すら聞こえてきて、もう男にもわかります、幽霊です、幽霊が追ってきているんです、あぁ怖いなぁ恐ろしいなぁ、早くここから出たいなぁ。
幽霊はあと少しのところまで来ている。急ぐ男。
すると目の前にEXITの文字が見えた。あぁ、やっと出口だ。
その油断がいけなかった。急に背後の気配が濃くなり、振り向くまもなく男は…
てれっててれってて
気が付いたら男は、マップ画面に戻って、ペットのヨッシーに乗っていたそうです…
2010年7月7日水曜日
友達に宿題をやってもらった
2010年7月6日火曜日
うなぎのぼり
うなぎのぼりという言葉があります。物事が上り調子だったりしてぐんぐんのびていく様を表す言葉、だと私は思っています。
しかし、実際にうなぎがのぼるところを見たことはありません。もしくはうなぎが何かをのぼる、という物語を読んだこともなく、映像作品を見たこともありません。
自分が見たものが全て、だとするのは危険な思考ですが、もしかしてあなたもうなぎがのぼる姿を思い浮かべることができないのではないでしょうか。だとしたら、うなぎのぼりという言葉は、私たちにとってどのように担保されて日々使われている言葉なのでしょうか。
こういうとき現代社会というのは便利なもので、世界中の親切な誰かが書いてくれたウィキペディアで、答えを探すことができます。そこには一説として、うなぎの川を遡上する能力の強さから来た言葉、と書いてありました。
おそらく天然うなぎがいっぱいいた時代に生まれた言葉でしょう。私にとってうなぎの話といえば江戸時代しかありません。世の中には馬鹿な人というのがいるもんでして、長屋で一番馬鹿なはっつぁんがうなぎがくいてえと思いましたところ悪友のゴン左右衛門が「はっつぁん、はっつぁあん!」とやってきまして
と、落語の影響でしょうか、とにかくうなぎといえば江戸時代なんです。
うなぎのぼりと聞いてまずぬるぬるのうなぎを捕まえようとしたうなぎ屋の手からうなぎが力強く身体をくねらせ、青い空に向かって逃げようとする、そんなイメージを思い浮かべます。
失敗してまた桶にうなぎを落としたうなぎ屋がカミさんに
「何やってんだいあんたは!」
と怒られたうなぎ屋がなにくそ!とむきになって何度もうなぎを捕まえようとし、ようやく捕まえたころにはすっかり弱ってしまったうなぎ、
「あんたそれじゃあ売り物にならないじゃないかい!うちはうまい鰻を食わせるってんでご近所さんにもひいきにしてもらってるんだよ!」
と叱責されるうなぎ屋、それを見て何かをひらめくゴン左右衛門、最後はここらで一杯肝吸いが怖いと。
夜中にこんな鰻の話をするのは、テレビを見ていたら一〇時くらいにうまい餃子をタレントが食べていて、腹が空いた上に腹が立ったので、この感じを共有したかったのです。皆さんの文句は怖くありません、いや怖いです、ほんとの意味で。落語的には怖くないです、腹いっぱいです。本当に。